自裁記録1
これは公開日時を指定した予約投稿です。これが投稿されたという事は私はもうこの世にはいないでしょう。
5月23日(木)
自殺決行日は5月28日。今日から5日間絶食をして、当日は飲めない酒を飲んで心拍数を上げ、20年前に手に入れた精神薬を飲み自殺を図ります。
薬はごく少量な上20年も昔のものですが、衰弱した体と体質に合わない酒の力を借りてまずは心臓疾患を狙います。もし失敗したら水分の補給を止めて衰弱死に持ち込む予定です。
今日からは水分はコーヒーのみ。お金も食料の備蓄もあり、水分の補給も出来る状況で絶食を行うには強靭な精神力が必要ですが、そもそも食べ物を欲するのは体の生命活動を維持しようとする脳の指令。
自己の精神がそれに屈するようなら、所詮は死にたい気持ちより食欲が上という証し。自分がそんな人間なら即刻自殺など取り止めて生きる事を望むべきでしょう。それを自身に問う為にこの手段を用います。
今から23年前、私はドアノブでの首吊り自殺を図りました。
だがあれでは人は死ねない。首を吊った後すぐに意識を失い酸素のない部屋の夢になります。定期的に奇妙な音が聞こえ、暗がりの中で近くに扉が一枚見えます。
その扉を開ければ酸素が入ってくる事が分かる。その時は自分の意識も自殺中である記憶も一切なく、ただ純粋な生存本能の自我だけが痙攣した体でそこまで這って扉を開けようとします。
そして扉を開けた瞬間、体が立ち上がって意識を取り戻します。奇妙な音の正体は喉が締まりながらも尚呼吸をしようとし続ける自分の喉の音でした。
5回、6回と繰り返しても結果は全て同じ。その時私は理解しました。腰を浮かして座るように首を吊るドアノブ自殺の報道はこれまで何度もあったけど、あれは自殺でなく他殺だったのだと。
自重の個体差に差異はあるものの、生存本能が全く機能しなくなるほど酒やドラッグで脳がイカれてない限りはあの方法で人は死ねません。ただ記憶力が著しく低下してあれ以降物忘れが酷くなっただけです。
自分の精神と肉体の自我は別物だとはっきり自覚した瞬間でもありました。
5月27日(月)
絶食4日目。ここまで順調に絶食を継続中。
水分は基本コーヒーのみですが、今は風呂上がりに炭酸水を少し補給するようになりました。この頃になると頭を洗う時に腕を長時間上げていられなくなる。腕が重くてだるい。
私は風呂の入り方には昔からこだわりがあり、熱い風呂に入った後に必ず冷水シャワーを被って隅々まで体を冷やします(要はサウナ ⇒ 水風呂と同じ要領です)。
風呂の温度は夏は41~42度で、冬は45度。真冬は45度でなければ寒くて最後に水を被る事が出来ません。これを毎日出勤前と夜に行う事で、穢れが祓われたように心身がさっぱりします。
ただし心臓には良くありません。絶食状態でこれをやると脱衣所で立ってられなくなるほどの負荷が心臓に掛かり、部屋に移動した後もしばらくは頭にタオルを被ってスタミナ切れのインターバルのボクサーのように座り込む事になります。
5月28日(火)
絶食5日目。いよいよ今夜自殺決行です。
遺族への遺言と、警察提出用の文書をテーブルに並べ、ブログとXを予約投稿にし、玄関の鍵を開けてチェーンだけを掛ける。
夜9時過ぎに飲めない酒を飲む。アルコール度数9%のチューハイ500mlを2缶とカシスソーダをグラス3杯、日本酒をぐい呑み3杯。普通の人にはなんて事ない量だけど下戸の自分には違います。
そして20年前に手に入れた精神薬を少しづつアルコールで流し込む。種類は7種ほど、総量は40錠弱と少量。通常なら致死量ではないものの、心身共に衰弱した状態で心臓への過剰な負荷を期待。
しかしものの10分ほどで強烈な吐き気に襲われシンクに両手を付いて派手にリバース&リバース&リバース。心臓に激しい動悸や不整脈の兆しは全くなし。それどころかいつになく穏やかで安定しています。
この5日間の断食は何だったのか。風呂で酒を飲むべきだったのか。この時点で自殺の失敗を悟り、翌朝目覚める事を確信して眠りに付きました(この記録は後日入力したものです)。
5月29日(水)
夜8時過ぎに目が覚めました。22時間ノンストップで寝通しだった。
三半規管が正常でなくモノを伝わねばまともに歩けない。すぐにまた眠るがこの日の記憶はあまりありません。
取り敢えずブログとXの予約投稿は削除。玄関は鍵を開けてチェーンだけ掛けておいた筈だけど、翌朝確認すると逆にチェーンが外され鍵が掛かっていました。この記憶の喪失は精神薬の影響でしょう。
精神薬と言えば何も知らない人は精神に効く薬と思いがちですが、この世にそんな便利なものはありません。医師が処方している薬はセロトニンの調整や脳機能を部位的に鈍らせて思考の抑制を人為的に制御する為のものです。
要は人として正常に考えられなくする薬です。本人の面談(カウンセリング)が必要なのは服薬後の状態を確認して、個体差に応じて適切な分量に成分を調整する必要があるからです。
患者は統計上の貴重なサンプルデータではあるが、通院する事で病気の根本的な完治には至らず、大きな病院であるほどカウンセリングに時間も割かない。回転率の限界です。
あくまで治療は薬物による対処療法に過ぎず、その副作用として手の震えや筋肉の弛緩、薬を飲んだ前後の記憶の健忘があり、呂律も回らなくなり、歌唱時の声帯のコントロールも出来なくなります。
所詮は統計学なので単に無気力なだけの人でも診断すれば何かしらの病名が付きますが、本当に病気の人は脳機能が正常に機能していないので、好きな事でも出来ない苦しみを抱えています。
私には自分の事を二の次にして本気で利他的に生きた時期が一度だけありました。
病気に関する事を独学で勉強して、各関係者に聞き回ったのでそこら辺の知識は確かです。精神病を完治させた人は殆どが薬を飲むのを自ら止めて、自分の強い意志と周りの協力で克服した人たちばかりです。
だから絶食で弱り切った体でそんな薬を酒と一緒に飲んだ所で、脳への影響はあっても心臓への負荷はたいしてなかったのでしょう。何事も試してみなければ分かりません。
5月30日(木)
朝9時に目を覚ます。絶食8日目という事もあり、キーボードを打つ手もままならない。
今日は夜に軽く最後の食事をして、明日から本格的に水を抜いた絶食生活に入ろうと思う。選んだ最後の食事は具なしの味噌汁と梅茶漬け。旨かったけど特に人生で一番旨いというほどではなかった。
5月31日(金)
今日から絶食絶水を開始。
順調に行けば6月5日前後が死亡予定日。だが自分の精神はもういつでも絶食に耐え得る事が出来る。やってみてそれが分かった。
そう考えると心に少し余裕が生まれ、一旦ここでリセットして、最後に好きなものを食べてから死に直そうと考えを改める。
取り敢えずこの日は備蓄していた十割蕎麦を食べました。普通に美味かったです。これから絶食中に食べたかったものを食べて、6月6日辺りから完全絶食絶水へとシフトチェンジします。Let’s eat!
6月1日(土)
普段は一日一食ですが、今日から5日間は一日二食。昼はフランクフルトとたこ焼きとプリン。ほぼおやつ食でした。夜は穴子とアジの握り寿司。旨かった。
6月2日(日)
昼は焼きそばを作りました。味の決め手は鰹と鶏ガラのだし汁で麺をほぐす事。トッピングは豚肉、キャベツ、目玉焼き。夜はシャトーブリアンのヒレステーキ。人生最良の焼き具合だった。
6月3日(月)
昼は昨日と同じ焼きそば。夜は高級肉まんと羽付き餃子をゆずポン酢で。
6月4日(火)
昼はトースト。クリームチーズ&マーマレード、あんバタートースト、そして半熟のハムエッグ乗せトーストの3枚。
夜は完成に20年以上を費し改良を重ね続けたペスカトーレ。これより旨いペスカトーレを作る店には最後まで出会えなかった。これが自分には一番のご馳走。
6月5日(水)
昼と夜は昨日と同じもの。最後の晩餐です。本当はジェノベーゼとカレーも食べたかったけど、フレッシュバジルが売り切れだったのでジェノベーゼは作るのを断念し、カレーはこの後死ぬのに余らせるのはもったいないと思い諦めました。
ちなみにカレーが簡単などと言う人は料理を旨くする手間も工夫もしない人というのが私の持論です。料理の最後の決め手は愛情と言いますが、あれは食べる人の為に一手間も二手間も掛けられる愛がある人かない人かという事だと思ってます。
私は人の為に作ろうが自分の為に作ろうが決して妥協はしない男です。カレーもどんなに手際よく作っても完成まで90分以上は掛かります。折角なのでオリジナルの簡単なレシピを載せます。
玉葱はミジン切りにしてバターと刻んだニンニクで弱火で炒め、肉は鳥・豚・牛の三種を炒めて岩塩&ブラックペッパー。角切り肉には柔らかくする為にベーキングパウダーの衣を付けておきます。
旨みを溶かす為にフードプロセッサーで粉々にした人参と炒めた玉葱を肉に加え、水は430ccしか使わず残りの水分はミキサーで粉々にしたリンゴとバナナと飲むヨーグルトとカットトマト。
灰汁を取ってジャガイモかマッシュルームを入れたら粉末の鰹出汁と昆布出汁、ブイヨン、ローレルを足して圧力鍋で10分煮込んで火を止める。
鍋のピンが下がったらルーは市販の2種類の辛口(ディナーカレー&ジャワカレー)を混ぜてガラムマサラ、クミン、ターメリック、ナツメグ、シナモンを足して味を調整。隠し味にソース、醤油、ハチミツ、コーヒー、チョコレート。とろみを足すブールマニエ。
ルーが溶けたら弱火でかき混ぜながら10分以上煮込んで完成。これが妥協しない男の料理です。材料費は高め。でも超絶旨いです。毎日食べても飽きない極上家カレーです。
GWや盆休みや正月休みで集中してレコーディングする時は料理時間節約の為に毎回このカレーを作り、カツカレー、オムカレー、焼きカレー、ナン、カレーうどんで食べ回していました。
ともあれこれで食に対する心残りも綺麗さっぱりなくなったので明日からはいよいよ死への断食がスタート。順調に行けば命日は6月10日辺りの予定です。
ちなみに自分の死に関してなぜこんなにポジティブに書けるのか不思議に思う人や、中には気を悪くする人もいるかも知れませんが、それは私にとって生と死が等しく平等なものだからです。
『命がある事が一番大切』
『どんな姿やどんな状態になっても、とにかく生き続ける事が正しい事』
今誰もが無自覚に感じているそうした強迫観念にも似た倫理観は本当のあなたの意見ではありません。それらは世の中に満ちているあらゆる創作物、常識、風潮に擦り込まれた誰かの正しさであり、知らずに自分の意見だと錯覚しているただの共有意識です。
でも私は自分自身の正しさを時間を掛けて養いながらこれまで生きてきました。
大切な人の死も、生きたがっている人の不慮の死も悲しく痛ましいものですが、私は自分が死んでも困る人が誰もいない環境を既に整えた上で事に臨んでいます。
常にこの事が頭にあったので好きな猫を飼う事も生涯我慢し続けました。それを前提に仕事も去年の12月に辞めて今は貯金で生活しています。つまり自分の意志一つで済む話なので事の経過を楽しめています。
肉体の生き死によりも重要なのは魂の生き死にであって、私はそれにこれまで誰よりも真剣に取り組み、人生を捧げ、その全てを既に置いてきました。それ故の境地です。
私にとってこれは単なる大衆からの離脱であり、自分の人生を完成させる為の手段に過ぎません。
6月6日(木)
今日からは毎朝目覚めた時にカレンダーにバツ印を打つ。
人は水も食料も摂らなければ4~5日で死ぬといわれているが果たして本当なのか。最後にバツ印が書かれていた日が私の死亡日です。
このブログは既に書き終えたもう一つの記事『遺書』と共に予約投稿で書き連ねていますが、可能な限り記録を残しておこうと思っています。
しかしカフェイン抜きが辛い。一日7~8杯はコーヒーを飲んでいたので体がカフェインを欲している。コーヒーを全く飲まない日なんていつ以来だろう……。
子供の頃は砂糖とコーヒーミルクを入れて飲んでいましたが、飲む量が増えて太るのを防止する為に砂糖抜きに変えました。
慣れるとこっちの方が断然旨くてますますコーヒー好きになったんですが、バンド時代の極貧生活でコーヒーミルクが買えない月があり、仕方なくブラックで飲んでる内に今度はブラックの旨さにハマり、コーヒーミルクが不要になりました。旨さとは慣れなのかも知れません。
人の一生も多分似たようなもの。刺激を与える新しいものが現れては流行になり、慣れれば普通の日常になり、最後はほろ苦いものに落ち着いてゆく。甘いだけの刺激にはもう戻れない。
6月7日(金)
絶食・絶水生活2日目。
絶食は全く平気だけど水が飲めない事がこんなに辛いとは……。喉の乾きが酷くてカフェイン中毒があっさりと吹っ飛びました。
今はコーヒーより冷えた炭酸水が飲みたい。風呂に入る度に喉の乾きが倍増する。さあ、風呂の時間だ。ちょっと喉乾きに行ってくるか。
6月8日(土)
絶食・絶水生活3日目。
気持ちを切替えねば。渇く、飲みたいじゃなく、飲もうとさせる脳をこちらが支配する。
肉体の生命活動やバランスを維持する為、脳は様々な指令を日頃私たちに要求し、欲求を掻き立て、人の精神は脳に支配されています。
その脳を自己の精神が上回る事でぼやけていた『支配されていた本来の自分』が研ぎ澄まされていく。これがきっと世の修行僧たちが苦行を強いる目的なのでしょう。
肉体の支配が生む煩悩を超剋して精神の高みに至る。現代の煩悩丸出しのビジネス坊主どもには辿り着けない境地でしょう。
しかしこんな苦行に頼らずとも人は自己の精神と向き合う事は可能だし、それでも人が達する事が出来るのはせいぜい個の高みまで。全の高みには至れません。窺い知れるのはせいぜい集合的無意識で繋がるほんの僅かな表層だけ。
畢竟、全ての宗教は誰かの真実に過ぎず、継承されるほどそこに誰かの嘘が書き足され伝説になってゆく。信仰の本質とはそうした他者の真実に依存して自ら考える事を放棄し、楽になって生きるという隷属行為。
でも肉体でなく魂が生きるという事は誰かの真実や誰かの言葉に逃げ込まず、自分の真実と向き合い自分の言葉を持つ事。そしてそれはそのまま表現の本質……といういつもの自分の境地に至りました。
ただ個人的に日本のアニミズムや神道の観念には魅力を感じています。
現在の神社神道は神仏習合時代の影響で商売っ気が強くなり、初詣やらパワースポットやら、縁結びの神様やら商売の神様やら、本質を違えたご利益に神様を利用するようになり、短髪の神主ばかりになってしまいましたが、神仏習合以前の古神道は知識を得るほどに自身のアイデンティティに深く根付いたものである事に気付かされます。
何より神道が特別なのは教団も組織も教義も存在しない事です。祀るべき神様がいる社にその神様を祀るべき人がいるだけ。それを地域ぐるみで守っていく。原始宗教の面影を未だに残す魅力的な宗教形態です。
6月9日(日)
絶食・絶水生活4日目。
おかしい……。前回は絶食4日目で既に頭を洗う時に腕を上げるのが辛く、風呂上がりには心臓が弱り切ってタオルを被って座り込んでいたのに、絶水までしてる今回は至って元気。
喉の渇きは継続的にあるものの腕のだるさも心肺の衰弱もない。空腹感も辛くないし、歩いてもふらつきもしない。本当なら今日あたり死んでも良い筈なのにそんな気配がまるでない。
前回の7日間の絶食で体が慣れてしまったのだろうか?もしくは体内のエネルギー生成に何か変化があったのか?ミュータントにでもなったのか?これでは水分の我慢の仕損な気がする。
あくまで最優先目的は少しでも楽に死ねる事なので、今日から水分は一日500mlまで摂る事にします。それで絶食を続けながら心臓も筋力も衰えたら絶水に戻します。少し長期戦になりそうな気配です。
さあ冷えた炭酸水の準備をするか。久し振りに脳を喜ばせてやろう。
6月10日(月)
絶食5日目。空腹感は少しあるが体調に変化はない。
うたた寝をした際に夢うつつの状態になり、リビングを仕切るアコーディオンの上部から細い鎖が大量に溢れ流れる幻覚を見てすぐに金縛りの気配を感じる。咄嗟に起きようとしたが時すでに遅し。もう体が動かない。
頭の中にマイナー調のメロディーの口笛が聞こえてきて、すぐそこに何かがいる気配がして首と肩が重くなる。でも目玉しか動かせない。
気合で必至に抵抗していると『見えてるの?』と女性の声がした。尚気合で抵抗してる内に金縛りは解けてくれた。どっと疲れた。
これは多分心霊現象ではなく、レム睡眠時に脳の一部が覚醒して起こる金縛り。つまり幻覚です。
この時変に力を入れて動こうとするほど解けた時に異様な脱力感を感じますが、脳が見せてる夢と割り切り、変に動かず受け入れると解けた後も疲れがありません。
けどあのゾワッとする気配のリアルさに本能的に抗ってしまった。あの拒絶感は何か得体の知れないものに対する人間の根源的な反応なのだろうか。
金縛りが解けた後にアプリの鼻歌検索であの口笛の曲を探したけど案の定ヒットはせず。鼻歌アプリは何種類か持ってるけど目当ての曲がヒットした事は今まで一度もありません。
知ってる曲を歌詞付きで歌えばヒットするし、ハミングでも有名な曲ならヒットするけど、キーも合ってない有名でもない曲をハミングで見つけられた事はない。
まるで有名ブランドを着ればオシャレになれると勘違いしてる田舎者のようなアプリです。これで世の中に似た曲があるかないかを見極める事は出来ません。経団連のように信用ならないアプリです。
6月11日(火)~ 6月16日(日)
この6日間状況は全く変わらず。
体重は6.5kg落ちて下っ腹にあった脂肪も全身の筋肉も落ちてはいるけど、11日の絶食中大きな変化はなし。肩から背中にかけての痒みと頭痛以外は健康体そのもの。
ちょっと人体の栄養生成に関して知識不足を感じたので、改めて詳しく調べ直してみました。ヒントは今ファスティングと呼ばれている断食にありました。
どうやら人は正しい方法でファスティングを行えば必要な筋力を保ったまま、心身も衰弱せず健康体で生きる事が出来るようです。
その際に必要となる物質が酵素。それでオートファジーを活性化させて古い細胞を新しくする事が本来のファスティングの目的らしいです。
オートファジーとは細胞の自食作用の事で、体内の脂肪やタンパク質を再分解して新たな必要物質に作り換える事。
最後に食事を摂ってから12時間でオートファジーは活性化を始め、ダイエット目的で脂肪を燃焼させるには3日以上の飢餓状態が必要。だから断食を行う訳です。
細胞の分解対象はミトコンドリアや細菌にまで及び、それで体内のエネルギーの産出方法が解糖系からミトコンドリア系のエネルギー生成に変化し、効率的にエネルギーを得る事が可能になるのだとか。
それらの働きを促進させる為の必須物質が酵素という事らしいです。
そして人が飢餓状態で死ぬ時は体内の酵素が半分以下になった時。つまり酵素が枯渇すればオートファジーは起こらず、体内でエネルギーも再生成されない。
私はこの絶食期間中炭酸水にレモン果汁を大量に入れて飲んでいました。レモン果汁はクエン酸ですがおそらく酵素の生成に役立っていたのだと思います。
普段ムニエルのソースに使うぐらいで炭酸水に入れる事はなかったのに、脳が無自覚にそうさせていたのか。脳を支配するなどとうそぶいておきながら、私はずっと脳に負けていたようです。
一番最初の体が弱り切っていた絶食時と違い、今回の絶食後半は炭酸レモン水だけの摂取で健康体のままでした。効果が低いながらも体内ではオートファジーでエネルギーが作られていたのだと思います。
その知識を得た今、通常の食べ物を口にしたら精神が脳にどう作用するのかが非常に気になっています。後、なぜだか分からないが無性にピザが食べたい。
6月17日(月)
ピザとチキンを食べました。ついでにペプシも飲みました。
最初の一切れ目はたまらなく旨かった。でも途中で食べるのが辛くなり最後は吐きました。体が拒絶したのではなく単なる食いすぎです。胃が以前に比べ半分程度に小さくなっていた。
更に11日間絶食した後に口にするものではなかった。でも一番気になっていたドーパミンによる食の幸福感は特に感じませんでした。
絶食に関してはもう何の苦もなく続けられる自信があります。これで酵素ドリンクや塩分さえ摂取すれば植物のように水だけで生きられる仙人モードになれるのかも知れません。
通常ファスティングは期間を設けて行われるものなので、水と酵素だけで延々と人が生きられるかの真偽は不明です。それを知りたければ身を以て確かめる他ないでしょう。その状態でどれだけ感覚が鋭くなり、どんな知覚を得るのかには非常に興味があります。
だがやはり私の目的は今ここで人生を完結させる事。
明日からは酵素不足による飢餓死を新たな目標にして絶食を再開し、コーヒー以外のものは一切口にせず、コーヒーを分解する消化酵素を消費し、喫煙でも酵素を減少させ、睡眠も不規則にして体内で酵素が作られにくい環境を整えます。それでしばらく様子を観察します。
6月18日(火)~ 6月25日(火)
この一週間は上半身の痒み以外は特に異常なし。
痒みの範囲は肩から背中、胸、腹回りまで広がっています。その原因が水分不足や栄養不足なのか、内蔵疾患なのか、免疫力低下由来の何かなのかは不明ですが、かなり辛い痒みです。
寝てる時も無意識に掻くので掻き跡が湿疹のように広がっています。抗ヒスタミン剤や保湿クリームやアルコール入りのボディシートで対処してなんとか誤魔化しています。
最初の絶食からもう一ヶ月が過ぎました。
絶食を再開したこの20日間で食事をしたのはたったの一度だけ。それでも体内の酵素が生命活動を停止するほど尽きる気配はまるでありません。酵素不足による体温の低下もなく、体も一向に衰弱しないので全く死が身近に感じられない。
今思えば一番最初の絶食時が一番その可能性があった。飢餓死というのは結果として起こり得るものでも、能動的な手段として用いるものではないのか。
カレンダーに無駄に並んだバツ印に、無為に時間を消費するだけで一向に死ねない毎日に、恥に似た感情さえ生じています。このやり方のままで本当に良いのだろうか。
確実なのは飛び降りで頭からコンクリートに落ちて即死する事。だがそれを発見した誰かがトラウマになるかも知れないし、遺体も出来れば損傷は避けたい。
人は生死の境を彷徨う時、自身の記憶も目的も失って肉体の純粋な生存本能だけが働く。最初の首吊り自殺の時のように。
そして記憶も意識もない強い苦しみの思念が絶命時にそこに定着する。苦しむ死に方なら幾らでもあるが地縛霊にだけはなりたくない。出来れば呼吸器系の死は避けたい。あれは本当に苦しい。きっと地縛霊になってしまう。
でも可能な限り安らかな自殺など、やはり生物として矛盾した行為なのだろうか。
6月26日(水)~ 6月27日(木)
体内の酵素を自力で枯渇させる事に限界を感じています。
こんな事をやっていても一向に死ねない。今も絶食は継続しており体重は8kg落ちて体脂肪は13%を切りました。体脂肪がもっと減れば体は衰弱するのだろうか。分からない。体内の酵素が尽きるにはやはり1~2ヶ月は要するのだろうか。分からない。
分からないから『3月のライオン』の一期と二期を一気見しました。凄く良かったです。
温かい作品に温かい絵。二期に入ってからのキャラの深堀り。独白のセリフの美しさ。棋匠戦の激アツなジジイとその声優の素晴らしさ。そして川本家の温かさには諸行無常の安らぎを感じてなんだか切なくなった。
何十年振りかに将棋が指したくなったし、出てくる食べ物がどれも異様に旨そうなので食欲との戦いまで再燃する事となりました。
6月28日(金)
痒みの範囲が肘から先と顔を除く上半身全体に広がり、寝る事さえままならなくなってきたので再度リセットして栄養を補給します。
ビタミン、ミネラル、必須アミノ酸、食物繊維の補給でまずは免疫力を上げ、鉄分や亜鉛も補給しつつ普通の食事をする。それで上半身の痒みが治まったら何度目かの再チャレンジです。
さすがにこたえる。一向に体が衰弱しない無駄な絶食。無駄な我慢。無駄な22日。カレンダーを埋め尽くしたバツ印の数は恥の上塗りの数。人間死ぬ時はあっけないのに、いざ死のうとしても簡単には死ねない。
6月29日(土)~ 7月7日(土)
栄養を摂取した途端、眠れないほどの上半身の痒みは徐々に治まっていき、一週間もする頃には痒みはほぼなくなって湿疹やガサついた皮膚も元に戻りつつあります。
ちなみに栄養を摂取し始めると同時に禁煙もしています。今の所飴もガムも必要とせず何の苦もなく禁煙が出来ています。
食べない事も飲まない事も、カフェインやニコチンの摂取も、我慢出来る事は全部我慢が出来る。それも平常時とは比較にならないほど簡単に。
ただ何を我慢しても体は一向に衰弱しない。まるで毒矢に苦しみながら死ぬ事が出来ないケイローンのようだ。
ここ数日はずっと奇妙な感覚の中で生きている。一日が二日に分裂して始まりも終わりもせず、日付だけが変わっていく感覚。次こそはちゃんと死ねるのだろうか。分からない。
分からないからLed Zeppelinのライヴを久し振りに見ました。1970年のロイヤル・アルバート・ホール。We’re Gonna Grooveのグルーヴ感が素晴らしい。
ZEPというとどうしてもボンゾのドラムやペイジのギターが印象的だけど、あのグルーヴの要はジョンジーのベース。音楽を聴く時にボーカルにフォーカスしすぎて楽曲全体が聴けない左脳聴きの人はああいうロックの良さは多分一生理解出来ないでしょう。
私も音楽全体の音が聴ける耳に鍛えるまでかなり時間を要しましたが、最初に聴いたZEPのセカンドには衝撃を受け、最初は何に衝撃を受けたのかさえ分かりませんでした。気が付けば海外のロックバンドにしかないバンドサウンド特有のグルーヴ感の虜になっていました。
Whole Lotta Loveは今でも特別な曲。あのリフやメロには失われたロックの匂いがあり、ああいう匂いのあるリフを作る事が自分の曲作りのテーマになりました。
ただこれ以降のライブではあの曲の独特の空気感がなくなり、ただ長いだけの単調な曲に変わっていきます。プラントが全力で声を張り上げ、冗長すぎるインプロも控えめなこの頃が個人的にはZEPのライブのベストです。
ちなみに余談ですが声を職業にしている人は加熱式タバコはやめた方がいいです。
私は刻み煙草と加熱式タバコを一時使い分けていましたが、その間通常の声(特に低い声)が非常に出にくくなり、長く話すとすぐ声が枯れるようになりました。
ボーカルのレコーディングの時は通常最初の3~4テイクでその日の声を作り、6~12テイクで本番を録っていました。
3~4オクターブの音域を叫ぶように歌う曲でも録り終えて余力があるぐらい喉は強かったのですが、加熱式タバコを吸っていた時は10テイク以上になると強い発声に声帯が負けて喉が持たなくなりました。
加齢による喉の衰えにはまだ早すぎるので、ずっとおかしいと思いつつ原因が分からなかったのですが、加熱式タバコをやめた途端に元に戻りました。
加熱式はニコチンを蒸気にするので喉が焼けやすく、ニコチンが弱い分メンソールやフレーバーがキツく、偽の煙を作る為にグリセリンなども使用しています。
私のように喉にポリープがあって放置している人は声帯が影響を受けやすいのかも知れません。スモーキーボイスを作る為に敢えてタバコを吸っている人は、加熱式は避けた方が良いでしょう。喉が弱くなります。