熱田神宮

2015年も早くも2月の第3週が過ぎ、そろそろ梅の花が咲き始める頃です。今年初めてのブログという事で今年の抱負を一つ。

『今年のブログは長文を控える』これで行こうと思います。

今年の旧正月は2月19日と遅かったので、今日後厄の厄祓いに熱田神宮へ行って来ました。熱田神宮では長らく封鎖されて立ち入る事が禁じられていた一之御前神社が、二年前から一般公開されています。

今までは案内図からも削除して存在を隠匿していたのに、今では『こころの小径』なる小道と一緒に案内図にもしっかり載っていました。場所は本殿奥の北西にある小さな社。祀られているのは熱田大神の荒御魂。写真撮影が禁止なので写真は撮っていません。

熱田神宮の御神体『草薙の剣』は、現在では天照大御神の御霊代とされています。つまり熱田大神の荒御魂とは天照大御神の荒御魂であり、熱田神宮の本殿も、一之御前神社の社も共に千木は水平で枕木は偶数。つまり祀られている神が女神である事を示しています。

しかし本来天照大御神の御霊代は、伊勢神宮・内宮の本殿にある『八咫の鏡』のみであり、内宮には天照大御神の荒御魂を祀る荒祭宮がちゃんとあります。なぜこのような不可解な矛盾が生じているのでしょう。

神話では素盞鳴尊が八岐の大蛇を退治した時、その尾から出た天叢雲剣が天照大御神に献上され、その剣が伊勢神宮の初代斎王・倭姫命から日本武尊に渡り、日本武尊が焼津の地で難を逃れた際、草薙の剣と名を変える事になります。

だが本来宮簀媛が草薙の剣を年魚市潟に祀ったのは、亡き夫・日本武尊の御霊代としてであり、詳しくは触れませんが日本武尊の祟りを鎮める為であったと思われます。当然熱田神宮の祭神『熱田大神』も草薙の剣の持ち主である日本武尊でなければならず、一之御前神社の祭神も日本武尊の荒御魂の筈です。

伊勢神宮の『八咫の鏡』、熱田神宮の『草薙の剣』、そして宮中にある『八尺瓊勾玉』が今日三種の神器とされています。奈良時代以降、天皇が即位する際に用いられた神器ですが、即位礼の度に伊勢神宮や熱田神宮から鏡や剣を持ち出した訳ではありません。

便宜上別御霊、つまりレプリカを作って宮中の別殿で保管し、即位礼の儀にだけ持ち出されました。平家が新たな天皇を即位させない為に宮中から持ち出して、壇ノ浦に沈んだ三種の神器はこの別御霊の方です(八尺瓊勾玉は本物でしたが回収されています)。

伊勢神宮の鏡は式年遷宮の度に隣の本殿に移動はするものの、倭姫命の時代から内宮に鎮座し続けています。一方熱田神宮の剣は天智天皇の時代に一度盗難に遭っています。

僧の道行が盗み出して新羅に持ち去ろうとしたものの失敗し、その後剣はしばらく宮中に留め置かれますが、天武天皇の病が剣による祟りであるとされた為、結局熱田神宮に返還されました。

祟りをもたらすので宮中から遠ざけるという逸話は、伊勢神宮創建のエピソードとも似ています。八咫の鏡も草薙の剣も八尺瓊勾玉も、更にその別御霊でさえも、目にする事は禁忌とされてきました。天皇でさえ祟りを畏れて目にする事はなく、どんな材質でどんな形状なのか記録は残っていません。

詳しくは触れませんが、この『祟り』は天照大御神が元々皇祖神ではない為がゆえだと思います。そうなったのは天武・持統天皇以降、記紀の編纂が完成して日本神話が確立してからの話です。

歴代天皇で明治天皇以前に皇祖神である筈の伊勢神宮に行幸した天皇は誰一人としていません。唯一持統天皇だけが伊勢に行幸していますが、神宮への参拝は記述がなく不明です。白河上皇など熊野詣には9回も行幸しているのに。

なぜ天照大御神や日本武尊は祟るのか、これら古代史の謎についてはいずれ纏めるつもりでいます。去年一年はそれに関連する本を読み漁っていましたが、今年はまた曲を作るので当面はそっちを進めていくつもりです。

では早速破れた今年の抱負に変わる新たなものをここで一つ。

『今年は特に抱負を持たない』これで行こうと思います。

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