遺書

これは公開日時を指定した予約投稿です。これが投稿されたという事は私はもうこの世にはいないでしょう。

この自殺は何年も前から計画されたものです。私にとって生きる価値とは生きた年数でなく、生きる為の明確な目的に生かされる喜びでした。だから私にとって自分の生死は自分でコントロールするものであり、自分が死ぬ時は目的を失った時。つまり音楽をやめる時でした。

レスポンスのない音楽を延々と作り続けるには限界があります。正直もっと早くその限界が来るだろうと思っていました。でも私は何度もその限界を越え、それが私の音楽に本物のソウルを与えていきました。そしてもう十分と思えるまでやり切る事が出来ました。心残りは何もありません。私の魂は既に私の残した音楽に宿っています。

どれだけ優れたものを作ろうと、この世界における価値とは知名度です。そういう観点では私が費やした時間は報われない意味のないものでした。目に見える地位や成功とは無縁の無名のミュージシャンとして私は生涯を終え、私が残した音楽も虚しく消えてなくなるでしょう。

でも自分が捧げた時間は決して無駄なものではありませんでした。例え目に見えるものはなくとも、他人から見れば無意味な人生にしか映らなくとも、私には特別な瞬間が何度もありました。それは普通に生きていては決して得られなかったものばかりです。

創作とは本来自分の力だけで創るものではありません。直接的な関与がなくても、身近な人の言葉やサポート、反応してくれる人に支えられて形を為すものです。感謝すべき存在の力を糧に産まれるレスポンスでもあります。

でも私はそれをずっと自分一人の力で創ってきました。曲制作は勿論、誰の期待も反応も感謝すべき存在もいない中、自分の意志と力だけを頼りに創ってきました。それは私にとって淋しい事であり、誇るべき事でもありました。

表現の純度を上げ、全てを自分でコントロールするなら組織でなく個人での活動に立ち返らねばなりません。でもそれで本物が創れる人など100万人に一人。それ以外は己の足りなさを露呈するだけの未熟な自己満足にしかならないでしょう。

でも私はバンド時代に積んだ経験と素養、捧げてきた時間を糧に紛れもない本物を創ってきました。だからこそ一人であり続けるのは必然でした。

きっと私は自分が一番望んでいたものはずっと手に入れていたのだと思います。それを言葉にした所で誰も正しくは理解出来ないでしょう。私と同じものを共有していない限り。

理解など出来なくて構いません。ただ正しさや正しい生き方などこの世にはないという事を知って下さい。正しさとは各々が見出す哲学の内にある答え。そして大衆とはそれと向き合えずに生きている集合体です。もし向き合って自身の深みに嵌まってしまえば、まともに生きられなくなってしまうから。

でも私は若い頃にそれと真正面から向き合い、自分の正しさを貫く人生を決断しました。それ故に私にとって死はずっと祝福すべきゴールでした。

最後に、このHPのレンタルサーバーは2025年12月31日で更新が切れ、それ以降はブログもメールアドレスも消失します。

もしこのHPに辿り着いた音楽関係者、または音楽出版社の方が私の残した音楽に価値を見出し、それを世間に広める力と意思をお持ちなら、私の音源全42曲の原盤権と著作権、及びレコーディングデータの全てを譲渡致します。

その際は私の遺族までご連絡をお願いします。私のメールは更新期限が切れるまで私の遺族が管理をしています。

2024年10月10日 相尾マサキ

※遺体の第一発見者の方へ。鍵は玄関のドアポストに手を入れたら取れるようにしています。金属製の小さなカゴに入っています。マグネット式なので下に落とさないよう気を付けて下さい。

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