2015年紅葉
昨日、愛知県で最も有名な紅葉スポット『香嵐渓』に行って来ました。
紅葉シーズンには力石インターを降りてから飯田街道は駐車場待ちの大渋滞となります。それを避けるのと朝の光で撮影がしたかったので、夜明け前の5時過ぎに家を出て日が昇る頃には香嵐渓に到着。
紅葉マップをネットでチェックしてちょうど見頃になっていたのでこの日を選んだけど、着いてみたらまだ一週間早かった。
モミジもカエデも綺麗な赤にはなっておらず、くすんだ赤や緑混じりのものも多い。一気に意欲を失って飯盛山を登ると山頂にある一本のモミジだけが綺麗な赤に染まっていました。
結局全てを見て回って鮮やかな赤だったものはたったの3本。撮りたかった写真も撮れず、足助の古い町並みを少し見て回ってから帰途につきました。
9時過ぎに向こうを出た時には付近の駐車場は全て満車で、飯田街道の反対車線には結構な渋滞が発生していました。
若い時は紅葉など全く興味がなかったけど、今では逆にイルミネーション等の人工美を全く綺麗だと思わなくなりました。年を取るほどにそうなる人は多いようです。
長く生きるほど人を信用できなくなります。心底人の醜さに触れてゾットする瞬間も経験します。人といて良いこともあれば面倒なこともある。
それでも本心は口には出さず、ネガティブな想いは自分の胸だけに秘めて、上手いこと折り合いを付けて生きていく。そんな人は多いんじゃないでしょうか。
その疲れが自然や動物に癒されようとベクトルを変えるのかも知れません。
朝焼けや夕焼けの美しさは毎日見ても見惚れるほどだし、縁側で老婆が野良猫をじっと膝に乗せてる姿など実に画になります。
若くて可愛いだけのモデルよりアートとしての深みが違います。そこに一種の哀愁を感じ取れればもう立派な人生下り坂。
でもそれは嘆く事ではありません。モノの見方が変わるというのは、モノの本質が分かるようになるという事。それだけ成熟したという事です。