ロックの歴史【シカゴ・ブルース~ロック黎明期編】
前回の続きです。
戦後になるとブルースが大きく進化します。エレキギターの登場で彼らはバンド編成でブルースを演奏するようになります。『シカゴ・ブルース』の誕生です。
彼らの音楽にレコード・ビジネスの可能性を見出したレナードとフィルのチェス兄弟は、1950年にブルース・R&Bの専門レーベル『チェス・レコード』を設立します。
チェス兄弟はポーランドからの移民でシカゴでライブ・クラブを経営し、かねてより南部から移住してくる黒人ブルース・マン達とも交流を持っていました。
2008年の映画『キャデラック・レコード』では、レナード・チェスをモデルに当時の白人と黒人の関係がリアルに描かれています。
チェス・レコードからはマディ・ウォーターズを筆頭に、リトル・ウォルター、ハウリン・ウルフ、バディ・ガイ、サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡなど、数多くのブルース・マンが輩出され、イギリスでその後ブルース・ブームが生まれる起因になりました。
彼らの音楽はアメリカ本国では黒人専用のラジオで流れるものでしたが、イギリスでは白人社会のラジオに乗って変わりゆく若い世代に普及していったのです。時代は公民権運動の高まりと共に劇的に変化し始めていました。
迎える1955年。チェス・レコードから新人のチャック・ベリーがデビュー。RCRからはエルヴィス・プレスリー。スペシャルティ・レコーズからはリトル・リチャード。翌年にはバディ・ホリーやエディ・コクラン、ジェリー・リー・ルイス。彼らが新たなムーブメントを生み出します。ロックンロールの誕生です。
ロックンロールはブルースと入れ替わるように新たな熱を生み出します。この”Rock And Roll”という言葉、揺さぶる”Rock”と転がす”Roll”ですが黒人のスラングでは『性交』、或いは『騒がしい』を意味するようです。
ロックンロールの登場で白人と黒人の音楽は一つに交わり、イギリスの子供達は白人のエルヴィスも黒人のチャック・ベリーも同様に聞いて育ちました。
それが逆輸入的にアメリカに伝わると、アメリカの白人の若者たちはようやく自国の黒人音楽を自発的に聴くようになります。まさに音楽が世界を変えた時代です。
そんなロックンロール・ムーブメントですが、騒々しい音楽を快く思わない保守派の連中や、黒人発祥の音楽が気に入らない差別主義者の画策で、ロックンロール追放運動が盛んになり、結局5年ほどで終焉を迎える事になります。その幕引きが何とも不自然なので以下に羅列します。
1957年 リトル・リチャードが飛行機事故を理由に引退
1958年 エルヴィス・プレスリーがアメリカ陸軍に徴兵
同年 ジェリー・リー・ルイスに13歳の妻が発覚し追放
1959年 バディ・ホリーが飛行機事故で死亡
同年 チャック・ベリーが逮捕
1960年 エディ・コクランが自動車事故で死亡
なんとロックンロールの創始者達が5年の間に尽くシーンから消えています。必要とあらば大統領さえ葬る国なので陰謀論が沸き起こるのも無理はないですが真相は藪の中。だが、彼らが蒔いた種は着実に成長していました。
1957年イギリスのリヴァプールでロックンロールに夢中になった10代の若者達は『ザ・クオリーメン』を結成します。後の『ザ・ビートルズ』です。
ビートルズがデビューする1962年には、ロンドンで白人のブルース・バンドが結成されます。『ザ・ローリング・ストーンズ』です。
特にブルース・ブームの影響はその後のロック史に重要な人物やバンドを多く輩出していきます。
ザ・フー、ドアーズ、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ジャニス・ジョプリン、ジェフ・ベック、ザ・ストゥージズ、レッド・ツェッペリン。
ギターなくしてブルースは成立せず、ブルースなくしてロックギターの誕生もあり得ませんでした。彼らの登場でロックは進化を果たし、ギターリフがメロディーに匹敵する重要な曲の柱になっていきます。
一方メロディーに特化したビートルズの音楽は、ポップ・ミュージックの究極形を50年前に完結させました。ビートルズに関しては改めて書く必要さえないかと思われます。何しろ同一バンドに二人の天才がいて、半世紀経った今でも色褪せない音楽を残したバンドです。
50年代のブルースやロックンロールは世界を呑み込むにはまだ勢いが足りませんでしたが、ビートルズのマージービートがそれを成し遂げ、世界中を熱狂させ、同時にロックが一大産業ビジネスになる可能性を提示しました。
70年代以降のロックがどんどん産業化して、メディアが作為的なイメージに一役買うようになったのも無理はありません。それを含めてのエンタメビジネスです。だからそういうバンドには必ずバンドを有名にしたマネージャーの存在がありました。
1976~78年のセックス・ピストルズはそれらエンタメビジネスの枠を飛び抜けた異色な存在のように思われましたが、彼らの破天荒なイメージはマネージャーのマルコム・マクラーレンが仕掛けた演出であり、ピストルズが作られた理由もヴィヴィアン・ウエストウッドの服を売る為のプロモーション。今ではそれが広く知られています。
哀れな事にジョニー・ロットンもシド・ヴィシャスもマルコムの手の平で踊らされたピエロに過ぎず、ロンドンパンクはその副産物でした。
1986~89年のガンズ・アンド・ローゼズも特異な存在で、作為も操作もなくバンドの音楽とカリスマ性だけで世界を熱狂の渦に巻き込んだ奇跡のようなバンドでした。本物の突然発生のムーブメント。
しかし’90年以降のガンズは収まるべくして良質なエンターテイナーへと変身を遂げていきます。この奇しくもミック・ジャガーと同じ選択が、アクセルにとって長くバンドを続ける為の結論だったのでしょう。
リアルなロックスターで居続けるのは常に自分の命を差し出すような行為で、若く飢えた時でなければしてられません。生涯通じてそれが出来ているのはアンディ・マッコイやジョニー・サンダースのようなポジションの人物なのでしょう。
だが1960年代半ばから始まるロックの黎明期には作為的でない、どこにどう収束するかさえ分からない得体の知れなさがあり、音楽が本当に世界を変えるかも知れない可能性に満ちていました。
それが幻に終わるのが1969年の終わり頃です。それ以降ロックはただの音楽になってしまいます。その話はまた次の機会にしたいと思います。
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