ボヘミアン・ラプソディ

明けましておめでとうございます。2019年始まりました。

さて、正月休みに行こうと思い、結局行く時間がなかった映画『ボヘミアン・ラプソディ』。金曜の夜にようやく見に行く事が出来ました。現時点で国内の興行収入84億、全世界では800億を突破し、今なお公開中。

つい先日はゴールデン・グローブ賞二部門受賞の発表があり、ブライアン・メイやロジャー・テイラーも喜びのツイートをしていました。

最近は映画館など全く行ってなかったんですが、今回初めてVsoundのシートを体感。スクリーンの映像に合わせシートが振動するもので、ライブの場面では自分がその場にいるような迫力がありました。

きっちりバスドラムに合わせている訳ではないけどライブシーンを堪能出来ました。配役もクイーンのメンバーとよく似ていて違和感なく入り込めました。

映画は開始冒頭の20世紀フォックスのファンファーレから既にクイーン・サウンド。VOXアンプとトレブル・ブースターのブライアンのギターの音です。ゴッド・セイブ・ザ・クイーンのサウンド。

音楽プロデューサーをブライアンとロジャーが担当しているので、ライブシーンの殆どは本物のクイーンのライブ音源。これは映画館で見て正解でした。

ブルーレイで見るなら5.1chのサラウンドシステムが欲しい。大音量で聴かなければこの映画の良さは伝わらないのではと感じました。この映画がここまで話題になる理由はやはりクイーンの音楽の素晴らしさありきでしょう。

フレディの人生を追いながら、それが映画館の高音質な大音量で体感出来るから30年以上前のバンドの音楽に改めて感動するのだと思います。

その音楽をバンドのストーリーに合わせ、フレディの変化に合わせて効果的に演出し、クライマックスの’85年のライブエイドの21分のライブでエンディング。勿論使っているのは本物のクイーンのライブエイドの音源。

多分これを普通に地上波で流して、テレビのスピーカーで聴いてもその音楽を体感する事は出来ないと思います。音楽は聴くだけでなく体感出来なければ感動には至らない。

それぐらいこの映画は音へのこだわりを強く感じる編集になっていました。マーティン・スコセッシの『シャイン・ア・ライト』に通じるものがあります。

フレディ・マーキュリーはロック史上稀代のパフォーマーで、歌の表現力がずば抜けて高いシンガー。色んな声を使い分け音域も広いです。

誰しもオンステージとオフステージでは別人になりますが、映画の中のフレディは妙に寂しがりな人物に描かれていました。当然脚色はあるし所々時系列のおかしな場面もあったけど、実際のフレディはどうだったのか少し気になりました。

あそこまで上り詰めた人間にしか分からない苦悩やプレッシャーもあれば、あそこまで上り詰めた人間だから体験出来た思いも沢山あったでしょう。

自分を食い物にしようとする人間が周りに山ほどいる中で、自分の音楽や才能を認めてくれる人も沢山いた筈です。

誰にも理解されない孤独というのは誰もが持っていて然るべきものですが、あの寂しさがバイセクシャルや生まれのコンプレックスに起因する苦悩の反動なのか、単にフレディが孤独である事を辛いと感じる表現者だったのか、或いは周りの人間が思い描いた歪んだフレディ像だったのか。

実際の所は分かりませんが、あの人恋しさの正体がプレッシャーなら、あの寂しさが自分には理解出来なかったのも納得が出来ます。でも猫好きのフレディの飼ってる二匹の猫のかわいさは非常によく伝わりました。

映画の中でソロになったフレディがメンバーの元に戻り、仲間にエイズである事を告白するシーンは最も心に残るシーンでした。私はクイーンのアルバムは1st~The Gameまでしか聴かず、各メンバーのエピソードもさほど詳しくは知りません。

でも調べてみると実際にフレディがエイズを発症したのはライブエイドの後のようなので、フレディの病気を知ったメンバーがライブエイドに向け円陣を組むシーンは映画の中だけの演出のようです。でも非常に良いシーンでした。まさにクイーンとフレディを祝福するような映画でした。

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