Nostalgia 制作状況

1stアルバムのリメイクですが順調に進んでいます。今回ボーカルのレコーディングを全曲録り直すので、念願だったノイマンのマイクU87Aiを購入しました。今まで使っていたAKG C414とはやはり違います。癖が少なくクリアで、喉の奥の音まで逃さず拾うので、より歌の表現がダイレクトに伝わります。上手い人が使えばより上手さが、下手な人が使えばより下手さが際立ちます。息が鼻から抜け切る際の微小な破裂音までキレイに拾うので、声のない箇所は完全にカットしなければなりません。当然今までもやっていた事ですが、その重要度が変わりました。

コンデンサーマイクは湿度に弱いので、未使用時はカメラと一緒に防湿庫で保管します。

一般的なレコーディングスタジオではこれが最低限のマイク。更にコンデンサーマイクはマイクプリアンプとの兼ね合いで音が決まるので、普通のレコーディング環境では高価なマイクプリアンプを使います。ちなみに私は5万程度のマイクプリです。場合によっては何百万ものヴィンテージのチューブマイクを使う人もいるようです。こだわり出せば切りがないです。最近の歌ものなんかを聴いても本当に良い機材が現場で使われてる事を感じます。特に日本の女性シンガーはそれを使うに相応しいほどレベルが高いです。ポップミュージックに限れば間違いなく海外より日本の方がレベルが上だと個人的には思います。ポップミュージックと日本語との相性も非常に良いので。海外の音楽は今やエレクトロかヒップホップぐらいしか聴くものがないのではないでしょうか。まあ、知らないけど。

過去のロック・レジェンド達も未だ第一線で頑張っていますが、残念ながら曲制作の全盛期はとうの昔に過ぎ去っています。昔の自分たちが作ったものを越える曲は二度と作れないし、それは本人たちも分かっているでしょう。音楽の作り方そのものも昔とは変わってきており、ファンがライブで聴きたいのも今より昔の曲。それが現在の職業ミュージシャンのテンプレートです。

ライブありきの活動。ステージに上がればレスポンスがあり、それに応える演奏や歌やパフォーマンスを見せれば、目の前の客が肌で感じる反応を返してくれる。創作の生みの苦しみより自己肯定感を高めてくれるライブの方がやってて楽しいし、生きてる実感も得られます。ライブを続ける為に何か次の曲をという逆説的な思考になります。成功すれば生活も満たされ、周りからはちやほやされ、生きる事の苦しみや不自由さ、不条理さは薄れていき、その代償にひらめきも消えてなくなります。

10年後、20年後には過去の自分を越える曲など作れなくなり、人気商売なので売れなきゃレコーディングの機会も与えられず、ライブは昔の曲ばかりになる。ルネサンス期の大作曲家たちが死ぬまで名曲を作れたのは、今とは音楽を作る環境や生活がまるで違っていたからです。それがエンタメの音楽とそうでないものの違いの一部です。

私がこだわっていた音楽はたかがロックなので、そんな壮大なものではないですが、それでも自分だけが感じている事は沢山あります。それは私の音楽同様、誰にも知られず、誰にも理解されず、消えてなくなるものでしょう。私はそれを受け入れています。

さて、レコーディングは残す所後一曲です。週末毎にギター、ベース、ボーカルを録れば正月休みになるので、そこで手付かずのMIDI音源を全曲分作る予定だったんですが、正月休みにはまたギターを録り直さねばなりません。というのもマーシャルのアンプの音が長らく物足りなく感じていたので、先月真空管のパワー管を変えてみたら途端に音が元気になり、ついでにプリ管も変えて初段から三段まで色々差し替えながら音を聴き比べていました。そこでハマる音が見つかったので、その音でもう一度何曲分かを録り直す事にしました。かなり面倒ですが。

また、新曲は二曲に増やし、全11曲に変更しました。一曲は当初から入れるつもりだったリフもののロックで、追加で加えたのはアコギとマンドリンとストリングスで作った僅か2コードの曲です。よくコードが3つあれば曲は作れると言いますが、コードは2つでもちゃんとした曲になります。マンドリンはこの新曲とNostalgia以外にも、Strange Sanityでも使ったので結構活躍してくれました。リフもののロックはやっと全体像が見えて来たので、今日からレコーディング開始です。

MIDIトラックは順調にいけば来年1月中に完成させ、2月から全曲のミックスを始める予定なので、完成は3月~4月になると思います。もしかしたら5月か6月かも知れません。何しろ全くやる気がないので。これが完成したら全ての音源は全曲フル視聴出来るようにし、ストリーミングも解禁します。誰も聴かないものを売るぐらいなら、誰でも自由に自分の音楽を聴いて欲しいから。まあ、どうせ聴かれないだろうけど。

結局人が聴いているものは音楽などではなく、自分の音楽にはその種の要素が皆無です。エンタメの外側にいる自分の音楽にはただ音楽だけしかなく、それはきっと誰の理にもならない身に付けられないもの。だから曲の良し悪しに関係なく価値を感じる事も出来ない。結局与える側だけでなく、受け取る側もどっぷりエンタメ脳になってるんです、今は。もし価値を理解出来る人がいるとしたら、きっと同じ創作者だけでしょう。

Masaki Aio

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