3rd Album “Aufheben”
3rdアルバムの全ミックス~マスタリングが完了しました。
これから業者を選定して12インチ・アナログ盤を発注するので、発売は来年の3月前後になると思います。アルバム・タイトルは『Aufheben』。
アウフヘーベンとはヘーゲルの弁証法に於ける概念で止揚とも訳されます。ドイツ語です。
元々は2ndアルバムのタイトル候補だったんですが、2ndの内容とは合わないのでボツにしました。しかし2nd以降に作っていた曲にはどれも共通するテーマを設けており、それらが今回の3rdアルバムを構成しています。
アウフヘーベンの本質は発展、或いは進化です。
物事のある問題をテーゼ(正)とした時、そのある問題はテーゼに対し矛盾・否定するアンチテーゼ(反)を含みます。その対立し合う二つを高い次元で解決する事がジンテーゼ(合)。それら一連の構成がヘーゲルの弁証法となります。
アウフヘーベンとはテーゼとアンチテーゼが互いを否定し合う事で、結果的に互いを高め、高次元に引き上げて交わる事です。厳密には少し違いますが、分かりやすく例えるなら乳化のようなものです。
ペペロンチーノを作る時、ニンニクと唐辛子のエキスを抽出したオリーブオイルと、塩を入れたパスタの茹で汁とを混ぜ合わせます。水と油は本来決して混ざり合わないテーゼとアンチテーゼですが、フライパンを高速で振って乳化させる事で一つのように混和します。
この撹拌行為がジンテーゼで、乳化という現象がアウフヘーベンです。アウフヘーベンを経て貧乏人のパスタ・ペペロンチーノは金を払う価値のある味に生まれ変わります。
60年代後半に全盛を迎えたロックは、70年代後半になると刺激に欠けるものになり、そのアンチテーゼとしてパンクロックが登場しました。パンクはロックと真逆の道を行き、演奏技術に長けた長髪ロッカーが持て囃される時代を壊し、演奏が未熟でも反骨精神を武器にした短髪パンカーがスポットを浴びる時代を築きました。
その反発し合う音楽を等しく聴いていた子供たちは、80年代後半にそれらをハイブリッドさせたオルタナやグランジを作りました。これも一種のアウフヘーベンです。
古いものが新しいものを否定し、新しいものが古いものを否定し、互いに否定し合いながらも高い次元で交わり合う場所を見出して融和する。
テーゼとアンチテーゼが表裏一体であるほど相手の死は己の死に直結し、対立しながらも相手の存在そのものを否定出来ないという矛盾を抱えます。
陰陽の二律背反は互いを否定する事によって己を知覚し、己を肯定する事で互いを生かします。
では争いと利欲の歴史を繰り返す人間が、更なる進化を遂げる為のアウフヘーベンとは何を意味するのでしょう。そこに至るにはまず人間の業を知覚する事が最も重要な鍵だと私は捉えています。
私の考えの根本には魂の不変と因果があります。それがこの世の理を最も合理的に解決してくれるからです。
因は原因で果は結果。全ての結果には必ずそうなるべき要因があり、人間が負う因果を業と呼びます。 業という観念を知覚する事で、この世で不条理とされている事は実は不条理ではない事も理解出来ます。便宜上そう呼称する事はあっても。
魂は不変でも肉体は必ず死を迎えます。でも肉体が死んでも業は消えません。魂に刻まれて残り続けます。そして残った業を因子として新たな肉体に生まれ変わります。その結果が不条理と呼ばれる人の運命です。
この世の生物はただ自分の行為に相応しい代償を膨大な時間を掛けて受け取っているにすぎないのかも知れません。脳の死と共に記憶がリセットされるから誰も受け入れる事が出来ないだけで、この世界の不条理の原因は全て自分に起因するものだと私は解釈しています。
子供は無垢な存在ではなく罪から生まれるもの。原罪なくして生まれる命はなく、死後に行くとされる天国や地獄とは生まれ変わったこの世界です。
現世での行いは来世の自分の人生を天国にも地獄にも変えるでしょう。世界が決して平等にならないのは、皆がそれぞれの報いを受けねばならないからです。それを無理やり平等にすれば綻びが起き、大きな戦争になって精算されるでしょう。
私が中学生の反抗期の頃、とある事で母と口論になった事がありました。その際私は『生まれたくてこんな家に生まれた訳じゃない!』などと中学生が言いそうな(中学生でしたが)言葉を口にした事がありました。
その時母に『お母さんだって同じだわ!生まれたくて生まれた人間なんて誰もいない!』と言い返され、何も言えなくなった事がありました。
その時には私は母が不遇な環境で人より苦労して育った事を知っていたし、自分と同じ思いをさせない為に女手一つで愛情を注いでくれている事を感じていたので、私は自分の言葉で母を傷付けてしまった事を悔やみ、二度とそんな事を口にしませんでした。
生まれや境遇や容姿や能力など、一見不条理と思える要素はそれを負うに相応しい事を過去の自分がしてきたという証です。それら人の力ではどうにもならない理を、人は古くから信仰に求めてきました。
しかし信仰とは真理ではありません。それは迷える人にとっての救いであり、倫理であり、文化であり、哲学です。私の言葉も同様です。自分が最も納得出来る一つの観念に過ぎません。だから表現に変えて足掻くのです。
自分の運命を受け入れる事は容易ではありません。辛い想いをしてる人ほど目に見えない何かにすがりがちです。
でも運命を受け入れるという事は努力を放棄する事ではありません。どうにもならない事に抗うのもまた人の醜さであり、美しさです。人間の芸術はそこから発生しています。
自身の業を知覚しながらも、受け入れられない運命に足掻く。その矛盾の裏にアウフヘーベンは存在します。私はこのアルバムでそれに関する事柄を一貫して表現しています。
もし何かの検索で縁あってこのブログを目にした方。是非 Aufheben を聴いて下さい。12インチのアナログレコードで生産ロットも少ないので安くはないですが、現代音楽では聴けなくなった本物のソウルを感じて頂けると思います。
※ Aufheben (2024 Remaster) に差し替え
1件のコメント